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北前船について

北前船は実際に存在した史実であり文化でもある。

この絵は、千石船を真後ろから描いたものです。
船の真後ろを「とも」と言い、帆をいっぱいに広げ、走っているのを「まとも」と言います。
世間一般では、失敗したり、道にはずれた行動をした人が、立ち直り、やり直しをする様になったの人を、「まともになった」と言います。
また、“まともな人生” “まともな商売” “まとまな人間”という言葉の起源であるとも伝えられております。

一般に帆の縦線を23本(23丹ともいう)から24本程あるのを千石船と呼ばれ、
船、帆の大きさと帆幅の縦線の数でみたそうです。24本より多ければ千石船より大きい船ということになります。

北前船は、遠く大阪から瀬戸内、日本海の諸港を経て北海道との交易に従事し、買積を主とし、一年一航海で、収益は千石船で千両といわれ、
純利益は五・六百両ぐらいでした。明治10年頃の最高年収を現在になおすと、三億円という船主もあったそうです。
北陸地方がその中心で、江戸後期から明治20年代まで栄え、日本海時代を現出しましたが以降近代化に遅れつつ姿を消しました。

ここに当時の偉風を表現し、この船頭達の危険をかえりみないフロンティア精神は、現在も吾々の心に通じるものがります。
「鎖国時代に日本海を縦横に行き来した北前船の証を作品に残したい。」
私はこの偉大なるロマンと文化に感動し、由緒あるまともの図を九谷焼に日々制作しております。

北前船における活動など

2011年8月、北前船日本海文化交流事業「北前船みちのく丸」金沢寄港イベントにてシンポジウムのパネリストとして、参加させていただきました。

2011年8月、北前船日本海文化交流事業「北前船みちのく丸」金沢寄港イベントにて
シンポジウムのパネリストとして、参加させていただきました。

当文化事業にて、記念陶額を制作、みちのく丸船長 木村様へ贈呈いたしました。

当文化事業にて、記念陶額を制作、
みちのく丸船長 木村様へ贈呈いたしました。
(木村船長 左)

日本海の荒波をつき進む「みちのく丸」を描き、順風満帆に進む北前船と逆風に立ち向かう「間切り」の帆船を対比して描くことで勇壮さを表現。金沢特産の金箔と九谷五彩を使い、大変迫力ある陶額になりました。

日本海の荒波をつき進む「みちのく丸」を描き、順風満帆に進む北前船と逆風に立ち向かう「間切り」の帆船を対比して描くことで勇壮さを表現。
金沢特産の金箔と九谷五彩を使い、大変迫力ある陶額になりました。

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